1.差別とは?【3】定義は通じないだけでなく役に立たない。
差別に限りませんが、あやふやな定義(つまり定義合戦がある定義)は、相手に通じることはありません。
通じ合えて、これさえ共通認識になれば、すべて解決すると思える場合もあるでしょうが、じつは、ヒトの脳の仕組み上無理なのです。
ひとつの疑問として、非常にゆっくり落ち着いた状態で、優雅にお茶しながら読書でもするように、伝え合うことが出来たらどうでしょう?
これは、伝わる可能性高いです。
近年有力な仮説「心の理論(ToM)」で考えると、伝わります。
人間は一人称だけでなく二人称三人称から第四人称などまで複雑な物語を理解できます。
これは、失敗を繰り返し訓練し習得したのではなく、機能として生まれたときから備わってる。と考えられています。
全く違う考えの人の意見も、じっくり聞くなら、こういうことが言いたいのだと感じ取る機能を、最初から有してると言うことです。
なお、賛成できるかできないかと、理解できるか?は別です。
なので、冷静になれないくらい拘りある人は別ですが、落ち着いた同士なら、ある程度の理解は可能です。
ところが、差別のような不条理が起こる場面の大半が、落ちついた状態ではありません。
むしろ、論戦以上に、怒ったり興奮してる場合が珍しくないでしょう。
このことから、実は、差別の定義を詳細にわたって構築していくことは、実際の現場では何の役にも立たないのです。
無論、研究としては役にたつかも知れませんが、実態がこういう仕様なので、あまり概念が広がり過ぎた差別定義は、有効度が低いと考えられます。