3.悪口は攻撃に発展する[5]偶発攻撃のメカニズム
悪口によって攻撃行動が起きる準備は、『悪口は攻撃に発展する[2]』で、攻撃行動開始のきっかけとなる合図は『悪口は攻撃に発展する[3]』で説明しました。
『悪口は攻撃に発展する[4]』で、悪口の訓練や攻撃開始の合図がなくても攻撃行動があることを説明しました。
(一応、古来より一般に起こり得る、利害衝突や痴情の縺れ、あるいは積年の恨みのようなものから派生する殺人事件及び、精神に異常のある方の事件は、情報量を抑える意味で、ここでは除外して考えます。)
除外事例は別として、通常は、訓練しないと無関係な同類に殺人なんて凶悪なことが出来ないのが、普通の人間。
群集心理は、いったいなぜ、普通の人間が残虐な攻撃行動を、訓練による殺人抵抗のハードル下げや権威からの命令無しに、実行することが出来るのでしょう?
ル・ボンは人々が群集になると
1.道徳性の低下
2.暗示にかかりやすくなる
3.思考が単純になる
4.感情的な動揺が激しくなる
このような状態が生じると分析しています。
道徳性が低下するということは、軍事学者らの訓練と同じです。兵士自らが自分の価値を低め、何の価値もない人間だと思い込ませることで、「どうせ無価値な人間だ。悪いことやって構わない。」と悪いこと実行のハードルを下げる。軍事訓練と同じことが起きた状態です。
暗示に掛かりやすくなるということは、軍事学者らの号令の訓練と同じ。権威からの命令や服従の関係が自然と出来上がってることになります。
思考が単純になり感情の動揺が激しくなることは、高度な意思を担当する前頭連合野が抑制され、快か不快かの単純かつ極端な情動判断の扁桃体が優位になることが推測できます。
これは、群集というテリトリーを無視した匿名の密集状態の特徴が、軍事学者らの訓練と同じような効果になり、尚且つ、緊急事態の情動反応を呼び起こしてることを意味します。
軍事学者らの研究では、距離感が離れるほど殺人抵抗を下げることがわかりましたが、密集はなぜ傍にいるのに距離感が開くのでしょうか?
生物には群集密度やテリトリーといった他個体との適正な距離関係があります。
この領域を侵されると喧嘩が始まります。
人同士も、知らない人がすぐ傍にいるのは、あまり心地好いものではありません。
打ち溶け合おうとする人にとっても、知らないままが居心地良くないことの裏返しで、半分苦肉の策なのです。
そうでなければ、満員電車や都会の人混みは仲良しだらけにならないとおかしいです。
つまり 不適切な密着である群集はただそれだけで緊張≒ストレスを生み争いが起き易くなります。特に恨みなどもなく喧嘩するわけですから、攻撃行動の準備(殺人抵抗を下げること)が密集ストレスにより、誘発されたのかもしれません。
この群衆が暴動に向かうのは、情動反応が起きてることから、緊急事態が迫ってくるからだと考えられます。
緊急時や災害時、一番効率の良い対応手段を探し出そうと、じっくり腰をすえて検証してては、生き残れません。
サバイバルには、冷静も必要ですが、その瞬間ではなく、後から振り返り次への対処として必要とされます。
瞬間的に、心肺機能は高まり四股に血液が流れ、ノルアドレナリンとアドレナリンの作用で、動き出したくてたまらなくなります。
どっちに逃げて良いのかなんて、あまり考える暇もなく、誰かが走り出せば、まるで小魚や鳥の群れが、一方向に流れるごとく、群集は流れ出します。
この統一された行動、難しい言葉で、自己組織化が関連すると思われます。