3.悪口は攻撃に発展する[3]悪口がなぜ攻撃(実行)に変わるのか?
悪口のメカニズム[1]と[2]で、悪口(憎悪表現)は威嚇と親和性があり直ちに攻撃が実行されないこと、と同時にその悪口が、相手との距離感を広め攻撃実行のハードルを下げることを示しました。
実際に攻撃を行わせるため、軍事学者らは2つの方法を用いました。
1つは、訓練です。
これは、パブロフの犬などで有名な古典的条件付けに当たります。
ご存知でしょうが、簡単に説明すると、『餌がでる合図を覚えると、合図を聞くだけで、消化を助ける消化液が分泌されて身体が摂食行動の準備を整えてしまう。』条件反射のことです。
この条件反射、生きる為に摂食行動の効率化を促してることになり、実は、差別のメカニズム〔2〕で説明した生物の基本「良いことを増やし悪いことを減らす」と同じ仕組みです。
軍事学者らはこれを応用して、訓練で繰り返すことで兵士の気持ちを変えていきました。メカニズム的にはヘブ則による神経強化になります。興味ある方は検索して調べてみてください。
余談ですが、現在日本では、自虐史観系の「謝罪と賠償」及び対抗上の「日本から出て行け」が繰り返されてます。これは自分自身を貶め悪いことをするハードルを下げ、返す刀で相手との距離感を広げ、攻撃実行の準備が整うことになり兼ねません。
両者の争いは、もしかしたら、偶然ゆるい訓練となり、人心を惑わすのではないかと思えなくもないです。心配し過ぎかもしれませんが、エスカレートすることないようお願いしたいところです。
また、差別する奴は何も誇るものがなく、唯一「日本人」であることのみが残された誇りで、これを守るために他者を攻撃してると言うような、戯言が信じられています。
これは軍事学者らの研究で明かなように逆です。
日本人と言うことに誇りをもつ人は、悪いことをしない一定のブレーキを持ってることになります。
これを無くすことは悪手です。
例えば、権威からの命令に近い形の「日本人」は正しいから、何を言っても許される。のような教育でもあれば別です。
しかし、実際には、この形に近いのは、むしろ反差別側。
ヘイトは絶対悪こっちは正義だ。何言っても良い。こういう台詞がやたら飛び交ってます。
日本人だろうが反差別だろうが、何でも良いです。
誇りをもつことは、悪いことへの一定のブレーキ。これを大事にしてください。
さて話し戻して、軍事学者らは攻撃行動の準備を整えると、次に行動を始める合図に注目しました。
古典的条件付けのように、ブザーを鳴らして人を殺させることを繰り返すというわけにはいきません。
注目したのはミルグラム実験です。
これは、元ナチの親衛隊でユダヤ人輸送の運行管理者だったアイヒマンが軍事裁判中発した「命令に従っただけ」という弁明を基に、権威や服従について検証した実験です。
これで、攻撃行動の準備とその発動スイッチが完成した事になります。
反面教師として、安定社会のためには、悪口の蔓延や悪口の権威やリーダーの存在に注意をしたほうが良いのかもしれません。
3.悪口は攻撃に発展する[2]悪口の研究
悪口の研究は以外なとこですが軍隊でも行われてます。
世界中の軍隊は、実はベトナム戦争以前は、互いに向き合って銃を構えてても発砲率が15~20%と低かったのです。(マーシャルの研究)
98~99%の兵士にとって、殺人は非常に抵抗が強く難しいというデータもあります。(スォンクらの研究)
考えてみると恐ろしい研究ですが、この発砲率や殺人抵抗を改善することに有効なのが悪口と言うことがわかりました。(グロスマンの研究)
悪口には2つの効果があります。
1つは、自分に向けての悪口で、自分自身をどうしようもない、何の価値もない、酷い人間だと貶めることで、心のブレーキを解除させ悪いことをしやすくします。
考えてみれば当たり前で、立派な人(軍隊あるいは国)だ。正義(あるいは神)の軍隊(人あるいは国)だ。との設定で誇りをもつほうが、悪いことをすることに矛盾を感じてブレーキになります。
だからこそ、世界標準では戦争の反省がどうこう歴史認識云々といった自虐的な考えの押し付けがないのかも知れません。
もう1つは、相手に向けた悪口です。これによって距離感を広げると、その分だけ、殺人抵抗が弱まります。
同じ人間同士と感じれば、ほとんどの人が銃口向き合ってさえ相手を殺すことができません。
ところが、相手を、同じ人間ではない、極悪非道な虫けらだ。と非人間扱いすればするほど、距離感が開いて、同種殺しの感覚が薄れ殺人が可能になります。
そんなことで人が殺せてしまうのか?と疑問にもつ人もいると思いますが、この研究は軍隊の研究ですから、徹底された実績的研究だとお考えください。
ベトナム戦争では発砲率が90~95%にまであがり、殺人抵抗の下がった帰還兵の苦悩が社会問題となりました。
悪口(ヘイトスピーチ)の恐ろしさは、むしろ、ここにあると考えてください。
現在ネット上では、反差別を自称する側が酷い悪口を撒き散らしています。私たちの悪口は良いのだ。と長い定義を振りかざしていますが、良いわけありません。
どっちの悪口も駄目なものは駄目です。
悪口なんて、社会として許容出来るのは、子供の喧嘩や大人の愚痴くらいまでで、それでさえ限度はあるものです。
相手を非人間扱いし殺人抵抗値を下げるような悪口は、社会に憎悪を蔓延させ崩壊を招くに違いありません。
3.悪口は攻撃に発展する[1]悪口とは?
そもそも悪口とは何のためにあるのでしょう?
世界中に古来から普遍的にあることから、何らかの必要性もあるのだと思われます。
もっとも単純な原点を求めるなら、悪口は威嚇行動ではないでしょうか?
威嚇行動と言うのは、攻撃行動と似てますが違います。
攻撃行動は、目や耳の感覚が研ぎ澄まされ、心肺機能が高まり、四股に血液が送られ、いつでも動ける準備が伴います。
ところが、威嚇行動は、逆に、顔を赤らめたり大きな声を出しますが、心肺機能は普通通りで四股にも血液が行き渡りません。
これは、互いが喧嘩して怪我を負うと生き延び難くなるので、体や声の大きさで威嚇し合うだけで、争い避けれるなら避けようとした知恵だと思われます。
悪口は、言語を伴うのでただの威嚇よりは複雑な様相がありますが、原点は威嚇にあると推測できます。
また、差別での憎悪表現は、主に対象者を黙らせたり排除しようとする傾向の言葉ですから、悪口の中でも威嚇に親和性がありそうです。
2.差別のメカニズム〔5〕定義が現場で役に立たないメカニズム
定義は、本来、データ圧縮のようなもので、共通認識がある同士では非常に便利なものですが、共通認識がない場合役に立ちません。
乗り越えるには共通認識を創って共有するしかありませんが、それには、互いが誠実であることやゆったり落ち着いてることや時間が必要です。
しかし、相手を対等だと認め誠意を持ってゆっくり時間を掛ける話し合いが出来る同士の間に、差別が存在することは稀です。
人類にとって定義(チャンク化)は、もっとも重要な作業のひとつですが、差別の現場では、実は役に立たないのです。
定義は前頭前皮質を中心とした作業記憶を駆使することで作り出され、完成後は、長期記憶に収納され、事実上のデータ圧縮となります。
作業記憶の容量が少ないが故の一手間です。
少ないがゆえに、相手をバカにする気持ちや、固定観念など、無駄な考えを抱えていては成立が難しいということになります。
さらに、容量の少なさ以外にも、定義の活躍が邪魔されてしまうシステムがヒトにはあります。
実は、怒ったり興奮すると、作業記憶を使って定義を創ったり、創った定義を対話などで共有したりする高度な意思を担当する前頭連合野が、一時的にシャットダウンされたり抑制されてしまいます。
すぐに回復しますが、その間、「情動判断」(≒坊主憎けりゃ系早まった一般化の原点)の主役「扁桃体」が優位になります。
つまり、差別の現場では怒りや興奮は付き物ですから、定義は一時的吹っ飛んでしまったり、考え難くなって、むしろ差別になってしまう「偏見」(≒坊主憎けりゃ系早まった一般化)の方が表に出易くなってしまいます。
2.差別のメカニズム〔4〕定義は本来、役に立つ
差別問題で定義が役に立たないことはジョージ・ミラーのマジカルナンバー7±2という論文から派生した、作業記憶の容量の仮説から説明しました。
この作業記憶は瞬時に覚えることの出来る記憶量の限界として実験されましたが、後に、この作業記憶が考えたり動いたりするときの重要な役目を担ってると分かってきました。
今のところ、前頭前皮質や頭頂皮質、前帯状皮質および大脳基底核の一部が作業記憶に関連すると考えられています。
定義の場合は、主に思考ですから、前頭前皮質が中心と考えて間違いないでしょう。
Miller(1956)の論文から派生した作業記憶の考えではヒトの脳の思考する瞬間の容量が、自分自身が感じるよりずっと少ないことを示してます。
実は、ゆったりした議論であるならば、本来この容量不足を超えるマジックワードが定義なのです。
議論に関わる全員が共通認識として、長い説明を定義付けし、一塊の言葉(≒チャンク)としてまとめると、データを圧縮することが可能です。
ゆったりしてるとき、7つ以上の情報を扱えるのは、この定義(≒チャンク)の工夫が機能してるからです。
ただし、定義合戦が起きてる段階では、当然、このデータ圧縮は機能しません。
2.差別のメカニズム〔3〕偏見の生理的メカニズム
ヒトの情動(感情とか気分感覚の根本)は、快情動回路(A10)と不快情動回路(A6)の2つしかありません。
側頭葉内側の扁桃体というところで判断されると考えられています。
食物を得るような「接近行動」は嬉しいことなのでドパミンという快情動を刺激する神経伝達物質が出て脳が興奮します。
危険なものを避ける「回避行動」は嫌なことなのでノルアドレナリンという不快情動を刺激する神経伝達物質がアドレナリンとともに放出されストレス反応を起こし「闘争か逃走」(fight-or-flight response)を起こします。
この情動反応を記憶の主役が扁桃体です。
良い事や嫌なことが、記憶され判断の精度が高まります。
だから1度お坊さんに騙されたり嫌な目に会うと、お坊さんというだけで、嫌な感情が沸いて来るのです。
手酷い目に合ったり、2度3度繰り返し不快な目に会うなら、記憶と学習は強化されるのでお坊さんだけでなく関連する事柄や象徴する服装や特徴まで嫌になるということです。
※なお、この仕組みは偏見の仕組みですが、この予測システムのおかげで人類は生き延びて来れました。したがってこの仕組みそのものが悪いのではありません。予測なので外れた場合不利益があるということ。外れた場合の被害者にとって偏見になる。というもう一段階手順があることにご留意ください。
2.差別のメカニズム〔2〕偏見は何故起きるのか?
ぼくらはなぜ「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」との偏見を、生み出すのでしょう?
じつは、これ、生物の基本メカニズム。生きることそのものの基本システムなのです。
生物は、単細胞生物であっても、良いことの頻度を上げ、悪いことの頻度を下げようとします。
実に当たり前のことで、餌を多く得たり、危険を避けたほうが生き延びる確率が上がります。
経験したことを学習し、記憶を活用して生き延びようとしてるわけです。
これがより高度な知能を持ち、記憶学習の容量が増えた生物は、より多くの得なこと損なことに対応できるようになります。
たとえば、経験したことと似たことを見つけると、近寄ったり避けたりすることが出来ます。
つまり、予測が出来るようになります。
この予測のうち、悪いことに似た状況を避けようとする性質が、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」(いわゆる偏見)の原型だと考えられます。
※参照URL 脳や神経を持たない粘菌の情報処理能力を探る